第4章:麻雀述懐録〜回胴や競馬と同じ道を歩んでいた麻雀〜(第3節)

初版2007年4月28日 著者:草加床ノ間


何故ルールは増え続けるのか

 麻雀のルールは際限なく増え続けている。その原因はもちろん標準ルールが制定されないでいたこともあるが,気軽にカスタマイズできてしまうのも一因であろう。

 そして,カスタマイズによりインフレ化し大味なゲーム内容になっていくと感覚が麻痺し,さらに大味なものに刺激を求めてしまうのである。だから新しいルールが必要になってくるのである。

 この現象はパチンコ業界で顕著だった。1回の大当たりでの獲得数や当たりの連続性(強制連荘)が加速した時代があった。

 そうなると,釘を見たり,設定を読んだり,狭い範囲を目押しすることの意義が激減し,パチンコ,パチスロは別物と化したのである。

 麻雀も同じく,細かい読みや手役はどうでもよくなり,リーチして和了してドラや赤牌を多く獲得するのがメインとなり,ゲーム性は別物と化したのである。

 あと,何かにつけて一飜が欲しいのかローカル役の増加も果てしない。

 もう一つの原因は,気に入らないからという理由でルールが変化することである。

 例としては,喰い替えの禁止,副露した断幺は認めない,時間が掛かるので和了連荘・・・などなど。

 原因不明の新ルールもある。

 平和とツモの複合はどこから発生したのだろう?四暗刻の単騎待ちのダブル役満も出所がわからない。

 かなり余計だが,私のルールの好き嫌いを,ここまで読んでいただいたなら分かっていらっしゃると思うがちょっと述べる。

 まあ,でも好きなルールはクラシックなものであるから,特に何が好きというものはないか。

 嫌いなものはたくさんあるが,基本的にドラが嫌いである。特に赤牌(固定ドラも同じことである)は牌種の価値に余計な偏りを発生させるので,できることなら却下したい。

 あとリーチのオプションは全て要らない。一発はまだ許容範囲であるが,オープン,ツモ専,超一発などは,どうしてもげんなりしてしまう。

 「なしなし」や「完全先付け」については前節で述べたとおりである。


「ルールに適していれば何をやってもいいのか」と言う前に

 タイトルの通り,「ルールに適していれば何をやってもいいのか」と言う前にということで,すこしばかり意見を述べる。

 「ルールに適していれば何をやってもいいのか」と言うこと自体,何かを禁止させようという不文律を作り出そうとしている。

 2007年3月25日の大相撲春場所千秋楽は,ともに13勝2敗の横綱朝青龍と大関白鵬が優勝決定戦を戦うことになった。

 結果は知っての通り,白鵬が立ち会いで変化しはたき込みにて勝ちを収めた。

 優勝決定戦という非常に注目される一戦で,この呆気ない内容の勝負に座布団が飛び交った。

 実は横綱朝青龍も以前に立ち会い変化で物議をかもしていた。横綱は立ち会い変化しないという不文律があったからだ。

 その根底にあるのが,「ルールに適していれば何をやってもいいのか」ということであろう。それを不文律に頼るのはよろしくないと思う。不文律でルールが乗っ取られる可能性もある。そうすると,はっきりしないことが多くなり悶着の元だ。

  「ルールに適していれば何をやってもいいのか」と思うときはルールに不備があるからだろう。その場合は不文律を作らず,ルールを直したい。

 不文律になってしまうのは,明文化されると主張する者にとって不都合が生じるからだろう。そんなのを許してはいけない。


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