第3章:私がずっと思っていたこと(第3節)

初版2007年4月21日 著者:草加床ノ間


手積みに対しての考え

 全自動卓の普及により手積みで麻雀を打つ機会が少なくなってきたような気がする。確かに,私も久しく洗牌の音を聞いていない。

 手積みの弱点はどうしても積込みができるという点である。

 もう一つ,山を覚えることができる点も挙げられる。記憶量の乏しい人(笑)でも,自分の山の裏ドラに当たる位置だけでも記憶しておけば効果がある。

 積込みして,それを配牌やツモにより正規に自分の手に収めた場合は発見などできない。山を覚えられるのは,更にどうしようもない。

 牌を積むこと,配牌を取ること,ツモを行うことはルール上の動作である。上記の積込み(抜き技を除く)及び山の記憶はルール上の動作だけでできてしまう。

 前節にて,ルール上の動作で不都合があるならルール上で解決しなければならないと述べた。

 知っている人もいらっしゃると思うが,完全伏せ牌というのがある。

 一度全部の牌を裏側に向けてから洗牌する。洗牌はなるべく牌がひっくり返らないように行う。時間がかかるのが最大の欠点だ。

 もう一つ私が知っているのは,荘家が供託点を出し,配牌を取る方法を変化させるルールがある。

 ナサンル,大ハアビイ,小ハアビイ,倒開,幺二三などがあり配牌の取り方が変化する。

 なにせやったことがないので,詳しいことは分からないが,荘家が意図的に決めることができるのなら,あまり意味が無いかもしれない。

 上記の2つのルールはほとんどの人が経験したことは無いだろう。かく言う私もやったことはない。

 せいぜいやっても,さいころの二度振りだろうが,積込み防止効果についてはそれほど効果は無く,二度振りのやり方を知らない人も実は多い。

 手積みの麻雀で真剣勝負に挑むのなら,それ相応の心構えが必要である。

 私も阿佐田哲也氏の小説の影響により,積込みの練習をしたクチの人間である。

 もう,そんな時代から十数年経ってしまっているが,今でも人差し指から薬指まで,それぞれの指で取った牌が山のどこの位置に入るかは決まっている。

 積込みの牌図を見ながら,指の動きのイメージを頭の中に描いたものだった。

 あれは,確か高校生のときか。何でもありルールにてやったことがある。現行犯以外のイカサマはOKというもの。

 局の途中でドラが変わっていたりして,なかなか楽しいひと時であった。

 そこで,私は天和を和了した。手牌は覚えていないが,洗牌中に材料を見失ったため無理矢理七対子を仕込んだのは今でも覚えている。

 実行したのは,つばめ返し系の技である。私は,つばめ返し系の技は3種類知っている。元祖のつばめ返し,そして牌の触れる音が出てしまう欠点があるが,その後の処理が楽なタイプ,もう一つは最初のモーションがかなり大きいが,それさえやってのければもらったも同然のタイプ。

 使ったのは2番目の技である。元祖のつばめ返しはとてもじゃないが,私には難しかった。

 手牌を開いた後の3人の驚きの顔は,今でもいい思い出である(笑)

 また,これも高校生のときであるが,当然イカサマありなんて滅多にないので,その時はイカサマについてのルールは特に決めていなかった。つまり,無しである。

 非常に調子の悪かった半荘の南三局,私の荘家。

 具体的には忘れてしまっているが何かむかつくことを言われて,点棒も無いので一丁やったるかということで,ドラ爆弾を積んだ。

 ちなみに,さいころを振る技術は私には無い。だが,気合いで一度振りの5を出した。配牌でドラが暗刻になっている。

 七巡目あたりで聴牌したが役が無い。仕方なくリーチした。このリーチは気が引けたが敢行した。実は,裏ドラも同じ牌を入れてしまっていたのである。たまたまあったので思わず入れてしまったのだ(裏ドラのほうが後に積む)。

 その三巡後,リーチツモドラ6を和了し親倍満となる。

 しかし,分かってしまっている裏ドラを開ける練習をしていなかったので,ツモって手を開き「リーチツモドラ3」までの発声はよかったが,その後の裏ドラを見て「あらっ,裏ドラも四筒だ。うーんと,リーチツモドラ6だから親倍か」という台詞がかなりぎこちなくなっていた。

 そのときの対局者は何も言わずに点棒を出していたが,自分の演技力の無さに忸怩たる思いを隠しきれなかった。これしきのことで,技を使ってしまった自分を猛省することにもなった。


放銃したらツキが落ちるという迷信

 「振り込んだからツキが落ちた」とはよく聞くが,まったく違うと思う。

 それはどれくらい違うかというと,パチンコで自分のやっていた台を他人が出しているのを見て,もっとやっていればよかった(AT・ストックを除く)というのと同じである。

 野球で言えば,ホームランを打ったときは,その打った投球の場面がピックアップされてしまうが,前の打席から続く配球や駆け引きがあってのものである。

 将棋で言えば,玉の頭に金を打たれ負けるが,金を打たれたために負けたのではなく,それ以前から負けていたのである。

 勝負勘は,見えやすいところばかりにとらわれてしまうと成長しない。

 麻雀は野球や将棋とは違い偶然の占める割合が大きいため,なおさら見えにくいところを刮目する必要がある。

 現在の状態は近過去の積み重ねによるものである。

 振り込んだからツキが落ちたのではなく,もともとツキが落ちていたから振り込んだでのある。いや,これはかなり雑な表現であるけど。

 点棒の状態は,近過去の流れ(ツキ)が現れている。つまり,現在の点棒は現在のツキの状態ではなく,昔のツキの状態であるのだ。


(※1)自動卓より疲れやすいというのは弱点でもなんでもない。

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