初版2007年4月14日 著者:草加床ノ間
包(パオ)とは主に役満を確定させてしまう副露をさせてしまった競技者に罰則を与えるものである。
が,実際,確定させているわけではないが,字一色などの全体役の四副露目をさせてしまった場合も包としている場合もある。
また,ドラをポンさせたというような役満以外の包も存在する。
包も古くから存在するルールである。当初は,包牌打牌した競技者が役満聴牌ならその罰を免れた。
さて,悶着の種としては,次のような場合が挙げられる。
(1)包の対象役が不明瞭
(2)包牌を捨てたがポンではなくカン(大明槓)だった場合
(3)包牌を喰い替えした場合
(4)暗刻の包牌をポンして,後から加槓したり残りの1牌を打牌した場合
(5)包牌を自ら捨ててしまっているものを副露した場合
順番に説明をする。(1)の場合は当然包のルールを採用するに当たっては決めておかなければならないことである。
対象役は大三元と大四喜で十分かな。私は今まで大三元の包が2〜3回出会った記憶がある。それ以外は無し。裸単騎で役満を和了した場面も出会った経験は無い。
(2)の場合は,元から暗刻にて存在していたことが明確であり,役満の確定には関係の無いことになる。これも罰則とするのか否か。
規則が細かくなるが,大明槓は免除かな。
そして,次の(3)の場合も免除かな。包牌の喰い替えに何の意味があるかはさておき,現実に起こりえる。
問題は(4)の場合。これは包とするしかないと思う。
手出しとツモ切りを明確にさせるルールがないからである。大体役満でそんな悠長なことをしているのも凄いけど。
最後に(5)であるが,阿佐田哲也氏の小説の中にも出てきている。暗刻の包牌をわざと1枚捨てて,狙った相手の打牌を誘う。小説の中では罰則扱い。
実際も罰則扱いか。一応確定させているし。
さて,これだけの悶着の種を乗り越え,滅多に起きない包を設定するべきか。だいたい,包牌の打牌が放銃の可能性も高いので,そんなことする競技者は少ない。
歴史あるルールだが,包は無しのほうがすっきりするし,大勢に影響は無い。
タイトルの通り,ツモ牌を手に入れてしまってからツモを宣言できるかということである。
まずはツモ牌を手に入れてしまっているので,どれがツモって来た牌なのかが分かりづらくなってしまっている。
ツモった牌によっては得点が違うので,それが不明瞭になるのはいただけない。真剣勝負なら,遅い宣言と同様無効(和了放棄や罰符)とするべきである。
仲間内なら,だいたい「おまけ」かな。
でも,麻雀とは瞬間である。絶え間ないツモの流れで宣言が許されるのは打牌直後の瞬間である。ツモの宣言も同じように肝に銘じて欲しいと思う。
まあ,訓練された人はツモ牌など自由に操作できるのであるが,それはまた別の話である。
連荘のルールも様々である。
私は「輪荘(親流れ)は散家(子)の和了のみ」という至ってシンプルなルールが好きで,小〜中学生の頃はずっとそれだった。
荘家が罰則の場合でも連荘。あがりやめは当然無し。それ以外取り決めすることが無い。
だが,生活の多様化により色々とつまらないことに忙しくなってしまった現代人,ルールで競技時間を減らそうと考えたのだろう。
(1)途中平局(流局)は全て輪荘(親流れ)とする。
(2)荒牌時に荘家(親)が聴牌していなければ輪荘(親流れ)とする。
(2−1)オーラスの荘家(親)は,聴牌に関係なく連荘とする。
(2−2)オーラスの荘家(親)は,聴牌していなければその荘は終了とする。
(2−3)東場のみに適用し,南場以降は聴牌に関係なく連荘とする。
(3)連荘は荘家(親)が和了したときのみとする。
(4)オーラスの荘家(親)は,和了したときに荘を終了させることができる。
さて(1)から説明する。途中平局とは荒牌以外の流局のことで頻繁には起きないが,荘家で九種九牌したら,そのまま親が飛んでいくのは悲しい。四風子連打でも一回しか打牌せず,親が去るのも寂しい。連荘で何ら問題ないと思うけど。
(2)は結構行っているグループは多いかと思うルール。いわゆるノーテン親流れルール。ノーテンで親流れると,連荘の積み棒が次の親に引き継がれるのが一般的である。
(3)は,いわゆるサクサクルール。こんなに急ぐ必要があるのでしょうか。
(4)は,オーラスの荘家の特権みたいなもの。別に全ての場合において,連荘できるときに輪荘の選択権があってもいいような気がするが。
そして,和了以外で輪荘し荘が終了した場合,供託されたリーチ棒はどうなるかという問題がある。次の2パターンに分かれると思う。
(A)トップの競技者が得る。(B)リーチをかけた競技者に戻る。
(A)の場合,トップが複数者出た場合の処理も考えなければならない。
連荘について色々書いたが,私の意見は冒頭で述べたとおりである。